家具 指物 桑山

木組みの伝統技法で作る無垢の家具



 家具 指物 桑山とは

指物という伝統技法を用い現代の暮らしに沿った家具を創る。

その想いから屋号を『家具 指物 桑山』としています。  

和家具・洋家具という隔てではなく指物の技法で作られた家具や工芸品こそ日本の木工として誇れるもの受け継がれるものという信念のもと制作しています 。   

明治40 年、初代である熊藏が新潟県柏崎市にて宮大工として創業しました。

その時代は宮大工が指物や家具等を手掛けるということはそれほど珍しい事では無く積雪の多い新潟では冬季の仕事としてむしろあたり前の事だった様です。

後に指物仕事を得意とした彌太郎(宗弥)へと代が替わり需要のある建具を主体に制作する様になっていきます。

昭和37年(1962年)に有限会社桑山建具製作所を設立、工房の拡大や機械の導入に伴い現在の柏崎市田塚に工房移転。

その後、弥万治(職業訓練指導員、一級技能士)へと引き継がれ

現在は、弥宏が『家具 指物 桑山』として家具や工芸品を制作しています。

 

 

宮大工であった初代 熊蔵ですが指物を得意とし

工藝品や茶道具等の制作も手がけていました。

木材工藝講習会等で技術の普及にも努めています。


 指物とは

屋号にもある指物(さしもの)という聞き慣れない言葉、鉄釘等を使わず板や棒状の木材を組み合わせ作る家具や工芸品、またはその作業法の事で、主に和家具の事をさすのが一般的です。その語源はものさしで測り正確に作ること、もしくは木材をさし合わせ作るからとも云われています。

もともと大工の仕事だったものが公家や武家の調度品、茶湯の普及により専業の仕事(指物師)として確立され、その後は庶民の家具として広がったと云われています。

 

 新潟の指物と指物師

江戸時代より肥沃で水理な新潟平野は米作に適し農業や北前船の寄港地として栄えました。箪笥や座卓等、家具の需要が高まり分業化する一方、一部の有力者に向けた調度品はより技巧的になり専門化してゆきます。


工房のある柏崎は中越長岡を中心とした文化圏にあり、明治〜昭和初期になると工藝即ち美術品という考えの元、多くの優品と弟子を育てた小川悠山や阿達祥山等を中心に優れた指物師を輩出しました。

新潟の指物師は用材に桑や欅等の銘木の他、唐木を用いその細工にも長けたというのも特徴です。

その当時、指物用材の中でも紫檀など東南アジア原産の唐木は貴重材として羨望されていましたが北前船の寄港地ということや支援者の存在もあり、それらの材も比較的入手しやすかったのではと推察されます。唐木は水に沈むような重硬さゆえ加工が難しく手間が掛かりますが日本の材には無い重厚さと光沢があり、繊細な細工が施された調度は美術工芸品としても高く評価されました。

職人としての地位やより良い仕事を求める結果として技法や意匠を凝らした調度・工芸品となり生活の道具としての家具とそれを作る家具職人とはまた違う意味で指物と指物師として称揚されてきたのではないかと思います。

 

明治維新後そのような指物師が工藝展等に挙って出展し作家としても評価されますが大戦での長岡空襲をうけ散り散りとなった事や戦後の時代背景により産業として衰退を余儀なくされました。

 

画像は彌太郎(宗弥)も出品していた商工省工藝展覧会図録(大正時代)

 

 

 

 

その精緻な技法は師から弟子、先達の仕事に触れることで素材、道具、技、そして職人の心と共に今も受け継がれています。


私が責任を持って制作しています


桑山 弥宏(くわやま やすひろ) 

公益社団法人 日本工芸会正会員

木材用加工機械作業主任者

福祉住環境コーディネーター